信康切腹事件

封牙舞
戦国時代、それは単に外敵と戦うだけではなく、親子兄弟さえも時に敵となる、まさに血で血を洗う時代でした。

御剣刹那
その戦国の世を終わらせたのはご存知徳川家康。
ところで、この家康って物語によって性格が全く違うね。

御子神黄泉
信義に厚く、人生は重荷を背負う長き旅と悟った家康……あるいは腹黒い狸親父家康。
面白いことに、彼が辿った経歴はそのどちらの性格でも説明のつくことばかり。まぁこれは家康に限った事ではないがな。

御剣神楽
その経歴の中でも、長男信康と正室築山殿を自害させた事件は、家康の性格だけではなく、その事件そのものに疑問を感じます。

封牙舞
「松平信康」は、家康がまだ徳川ではなく松平姓を名乗っていた頃の子で、母親は今川家の血筋である築山殿でした。
そして、「信康切腹事件」とは、織田の血を引く信康の妻「徳姫」と、今川の血を引く信康の母「築山殿」の不仲から端を発し、徳姫は父である信長に、信康が領民に乱暴をしていたこと、武田勝頼と密かに通じていた事等を書いた十二箇条の手紙を送ります。信長はこの書状を理由に家康に築山殿と信康の処刑を要求、家康は苦悩の末これを実行し、築山殿を殺害、信康に切腹を命じました。

御剣刹那
山岡荘八原作の物語やドラマでは、大抵「美談」として描かれているよね、雨の中、謹慎を命じられていた信康が、部下の計らいで密かに家康を尋ね、涙ながらに親子の別れの言葉を交わす……去っていく信康を家康が追いかけようとするシーンは感動したわねぇ。

御子神黄泉
その美談を作り上げるために、築山殿は全ての元凶となった稀代の悪女として滅茶苦茶に描かれていたがな。

御剣神楽
そこで疑問なのですが……この信康切腹事件は本当に美談だったのでしょうか?

封牙舞
この時の情勢をまとめてみましょう…織田家を完全包囲していた「信長包囲網」は、武田信玄の死によりかつての脅威を失っていました、それでも武田家は健在で、まだ四方を敵に囲まれていた織田家にとって唯一の同盟国が徳川家でした。そんな情勢下で果たして内政干渉を通り越し、同盟国が敵国に逆転するかもしれないこんな無茶な命令を送るでしょうか?

御子神黄泉
信長が自分の嫡男である信忠より、信康に優れた器量を感じ、将来立場が逆転する事を恐れた……なんて説まで飛び出したが、流石に苦しいよね……そもそも、織田家の資料にこの信康切腹事件が残されてないんだよ。

御剣刹那
織田信雄が嫡男なら案外その説も……おっと失言。
えと、つまり…信康切腹事件は、武田家における義信事件みたいに、完全に御家の内乱であり、徳川家だけの問題だった?

御子神黄泉
そして、家康が天下をとった数年後に編集された「三河物語」でこの事件が出てくるのだが、神君家康公が「妻子殺し」では困るので、織田家からの命令で仕方がなく……いや、それどころか、我が子を思う家康公という美談にまで昇華してしまったというわけか。

御剣神楽
断言はしません、全ては推測・仮説です。どんな史書が発掘されても、本人の心まで判らない以上、歴史に絶対はないと思います。
ですが、全く異なる視点からみても話が成立することも戦国の醍醐味ですから。

御剣刹那
あと、この信康事件の美談を否定しているわけではないんだよね、「歴史は歴史、ドラマはドラマ」と両方楽しみたいからね。その意味ではこの信康事件のシーンはドラマとしては本当にいいシーンだと思うね。ただ、かつての知ってるつもりみたいに、ドラマのシーンを史実と混同して紹介するのはどうかと思ったけど……

封牙舞
関ヶ原の戦いで、別働隊である徳川秀忠が真田親子に翻弄されて決戦に間に合わなかったとき、家康は「倅が……信康が居てくれれば……」と呟いたと言われています。これもドラマとしてはかなり好きなシーンです。

御剣刹那
あ〜、特に影武者徳川家康での……

御剣神楽
長くなりそうなので、今宵はここまでに致しとう御座います。