数え歌

 互い見初めは一夜目で

 二夜に結びし契り指

 三夜夫は戦へと

 四夜の哀愁黄昏て

 五夜に夫は紅走狗

 心絡まる六夜で

 七夜二人は悠遠に

 声が聞こえぬ無言劇

 八夜に滴る赤い雨


牙と呼ばれる小さな国の辺境。
二人の若い男女が出会ったのは、地図にも載らない程小さな、静寂に包まれた森の湖であった。
少女は水桶を落とし、その音に気付いた男は、薄絹の様なその少女に目を奪われた。
人の世に失望して捨てた男
人の世に絶望して逃げた女
小さな湖で、二人は見えない糸に吊るされた人形の様に導かれ、そして邂逅した。

やがて二人は夫婦の契りを交わした。
互いに家族も仲間も持たない二人は、村の外れに小さな家を持った。
人の世を捨てた男と逃げた女、二人だけの静かな生活が始まった。

冬の嵐の夜、男は戦場へ駆り出された。
彼らが拒絶した人の世は、彼らの事情を理解せず、連帯を強制した。
女は健気に送り出し、一人扉に持たれて泣いた。
冬の嵐が扉を乱暴に叩き、その音に驚いた鳥達が一斉に木々から飛び去っていた。

女は男の帰りを待った。
ひたすら待ち続けた。
何の力も智慧も持たないその身では、ただひたすらに待ち続けるしか選択がなかった。


 互い見初めは一夜目で

 二夜に結びし契り指

 三夜夫は戦へと

 四夜の哀愁黄昏て

 五夜に夫は紅走狗

 心絡まる六夜で

 七夜二人は悠遠に

 声が聞こえぬ無言劇

 八夜に滴る赤い雨


その日の夕焼けは真っ赤で、血の様に真っ赤で……
湖に写る逆さまの山々に緑が彩られた頃、男は帰ってきた。
何の前触れもなく突如姿をあらわした男は、戦場で手柄を上げ、これからは人の世に戻って良き生活ができると女を招いた。

女は男に言った。
今まで誰の世話にもならず、静かに生きてきたのに、どうして今更人の世に戻れようかと。
権力の為に血を欲するだけの走狗が如き立場になったことがそんなに喜ばしいのかと。

人の世を捨てた男は、拾うことができた。
人の世から逃げた女は戻る事ができなかった。

二人の空白の時間は長かった。
そして、少しずつ、しかし確実に二人の心を絡ませていった。

出口のない迷路へと二人を誘う歪んだ恋慕の情……

二人はもう、互いの事を考えることもできず、玩具を取り上げられた赤子の様な目を向け合うだけであった。
二人の目に映るものは、愛おしい互いの姿…裏切られた失望…理解されない怒り…受け入れられない憎悪………そして昇華された殺意。

沈黙の森に慣れない音が鳴り響き、静寂に慣れきった木々の鳥が一斉に飛び立つ。
その羽音が、何度も鳴り響く鈍い音を覆い隠していた。

小さな湖は、一瞬だけ赤く染まるが、わずかな紅が湖を覆いきれるわけもなく、すぐにまた清き水によって浄化されていた。

そして森は静寂を取り戻した………