|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
▲688年7月における勢力図 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
城主はアル国の暴君ルドリア派であり人心は離れていた為、既に城下町の長老をはじめとする実力者の知己と協力を得ていたディアルの決起に、民衆は進んで協力した。 更に、ディアルは周辺地域の小城も次々と説得により自軍になびかせ、ベルザフィリス国の基礎を築き上げる。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
既に歴史の表舞台から追いやられた存在とはいえ、ロックス地方を制圧しなければ、万が一にもレイアル砦を奪われると、ロー・レアルス国は領土が二分されることとなる。 ルディック国にその意思と力がなかったとしても、例えばロードレア国とひそかに盟約を結び、カルディスの出陣を待って後背を断つことはあるかもしれない。 そう考えたカルディスとメファイザスは、ロックス地方に駐屯するルディック国軍を蹴散らすべく、ドルトンを派遣する。 これに対して、バルディゴスに心酔していたことから、カルディスを終生の仇と考えていたバルシオン、バロムが出陣、最後まで和睦の道を模索していたテレサも、彼らを抑えきず、自ら出陣する。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ルディック国軍とロー・レアルス国軍は、真正面から対峙した。 その一方で、数で劣るルディック国軍は、逆転の秘策として密かにドゥースを別動隊として派遣し、ロー・レアルス国軍の背後を突くべく移動する。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
その一方で、別動隊として密かに移動していたドゥースは、自分たちとまったく同じ理由で敵の背後を突くべく別行動をとっていたレザリア部隊と不運な遭遇戦に突入し、奇襲は失敗する。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
テレサの本陣はレザリアの強襲を受け、バロム部隊も押し込まれ、奮戦していたバルシオンも、前線で孤立するだけで戦局に全く影響を与えられない。 こうして戦いはロー・レアルス国軍の勝利に終わり、ルディック国軍はロックス地方を手放すこととなる。 ロードレア国との決戦に備えるカルディス、メファイザスにとって、この戦いは地ならしに過ぎず、自らが出陣することもなかった。 かつて大帝国を築き、この地を支配していたルディックの存在が、既にそこまで小さなものになっているという証明を知らしめる戦いとなった。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
しかし、メスローは、ロー・レアルス国、リューグ国、アル国に対して終始主導権を握る戦いを繰り広げていたこともあり、バルド国との間にも戦端を開く決意をした。 自軍の強さに絶大な自信を持っていたメスローは、自らの師であるディグドの猛反対を押し切り出陣を決定、逆に彼を総指揮官に任命する。 ただし、カルディスはこの時期ロードレア国との戦いを視野に置いていたため、シャリアル国に対しては防衛に専念していたことを考えると、結果的にこれはメスローの慢心であった。 それでも、彼がそう思いたくなるほど、当時シャリアル国の軍勢が各国の軍勢を圧倒していたことは事実である。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
バルド国の指揮官は、名門の血筋であるナルザード。 これに対して、シャリアル国の指揮官にして、メスローの師であるディグドは、勝負を焦らず各地に陣地と柵を作り、持久戦に持ち込んだ。 すぐに決戦に及ぶと思っていたナルザードは、短期間の食糧しか用意していなかったが、ディグドの持久戦は思いのほか長期にわたり、元々諸将をまとめるほどの器量のなかったナルザードは、早期開戦を主張するグラインたちを抑えきれなくなる。 グラインの必死の防戦によって、かろうじて戦線を持ちこたえさせていたバルド国軍だが、名将と呼ばれるフォールがケーズ部隊に強襲を仕掛け、部隊を壊滅させて戦線離脱させる。 これをきっかけに、バルド国軍は総崩れとなり、全軍退却した。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
バルド国の敗戦を知ったアル国は、ラウラの戦い、カルドの戦いの連敗によって落ち込んでいた戦意を高揚させる為、便乗してバルド国の西部、エィディス平原に侵略している。 ただし、その地はほとんどが無人地帯であり、最初から形だけの勝利を得るためのものであった為、単独の戦いではなく、ルセーンの戦いの中の局地戦としてまとめられている。 デイルとガズドは、後にエィディスの戦いで二人同時にヴィルガスに挑みながら返り討ちにあうという、数奇な運命を辿ることとなる。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
戦いに勝利したディグドの元に、メスローから更なる進軍が命令される。 しかし、アル国の動きを察知したディグドは、このまま進めば鉢合わせになることを計算し、それ以上の進軍をせずに帰国する。 帰国してきたことにメスローは怒るが、ディグドは「戦場に立てば、現場の判断を最優先するべき」と譲らず、メスローも「さすがは我が兵法の師匠」とその場は笑って済ませるが、自室では一切怒りを隠さなかったと当時のメイドの証言にある。 事実、これ以後ディグドは、メスローの戦略から外されていくこととなる。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
年は変わり689年4月3日、ディアルは、説得と知略をもって、戦わずに領土を拡大させていく。 多少の小競り合いはあったものの、「一度でも大敗したらそれまで」という圧倒的国力差から、このときがディアルにとって、最も緊張を強いられた時期であった。 幸いな事にアル国はロッド国との戦いを続けていた為、ディアルのベルザフィリス建国に対して辺境の小さな反乱程度の認識しかなく、まともに相手にしていなかったが、流石に周辺地域までも支配下に置かれたことに国主ルドリアは怒り、海路から進撃を開始した。 この時点でベルザフィリス国は、国と呼ぶことすらおこがましい規模で、当然艦艇などというものは持っていない。 これを聞いたディアルは、ザガを将軍に抜擢すると抜刀隊を結成させ、嵐に乗じて停泊中のアル国艦隊旗艦を奪い、旗艦からの偽情報で艦隊そのものを乗っ取ってしまう。(後にイェーガの投降により艦隊を得ているが、この奇襲で手に入れた艦も、ムーン艦隊に編入されたと思われる) 更に勢いにのったベルザフィリス国は、4月6日にメヌズロゥ城攻略作戦を実行する。 まずは山賊から今や将軍となっていたベヌロゥズがディアルの元から脱出する。 新興勢力、しかも寄り合い所帯であったベルザフィリス国から山賊崩れが脱出したことに、誰も疑いをもたず、メヌズロゥ城の守備軍もこれを受け入れようとしたが、城主はさすがに疑念を持ち、彼らを城外に待機させる。 これに対してディアルは城に攻撃を仕掛けるが、兵の数も少なく城に迫ることができない。 メヌズロゥ城軍は勝機を見出したと城外に討って出るが、そこでベヌロゥズによって空き城を奪われてしまう。 こうして人材、兵力、艦艇、そして最低限お互いを援護できる拠点数箇所を手に入れたディアルは、正式に建国宣言を発令。 ベルザフィリスが国として正式に認知されたのは、この日からだといわれている。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
▲689年4月における勢力図 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ロードレア国とロー・レアルス国、レイディックとカルディス、二人の対決はもはや時間の問題であった。 事実、国境を接してからは緊張状態は極限まで高まり、小競り合いは幾度となく勃発していたが、それでもこの年まで両雄が直接対決を避けていたのは、お互い背後に敵を持っていた事が原因であった。 これにより、いまだ背後に敵を抱えているロー・レアルス国より先に攻勢の構えを取ることができたレイディックは、自ら軍勢を率いて出陣。 これに対してカルディスも、主導権を握れなかったにも関わらず、すぐさま迎撃の指揮をとり、ここに両雄はバルディゴス討伐連合軍以来の直接対決を迎えることとなる。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ロードレア国軍から仕掛けた戦いにも関わらず、戦場で先手を打ったのはカルディスであった。 この日のゼイレアン平原は、朝から深い霧に包まれていたが、霧に乗じてカルディスは全軍突撃を命じる。 レイディックは、これを冷静に受け止めて弓隊での防戦を命令する。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
夕方前にはナッシュ、ノース、ボルゴスの陣が戦線を維持できなくなり、後退して別部隊と合流。 この穴をカバーするべく最前線に出たラディア、そして猛将アリガルの陣も、二人が自ら剣を振るうほど追い詰められていた。 この瞬間を見逃さず、レイディックは待機させていた騎馬部隊だけで編成したアルヴァドス指揮する機動部隊に出陣を号令、視界の悪さと守りに徹していた相手がまさか攻めに転じるとは思っていなかったロー・レアルス国軍は、この機動部隊の速攻を許してしまう。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ここでソフィスの命令がくだり、予備兵力が一気に投入されると、ここまで守りに徹したロードレア国軍が一気に攻撃に転じ、ロー・レアルス国軍を分断して各個撃破していく。 攻守は逆転し、今度はカルディス自らが流れ矢を打ち払うほどの激戦となるが、カルディスの軍師となっていたメファイザスが、攻撃を受けている本陣を無視して前進し、側面からロードレア国軍を攻撃することで突撃を一旦食い止めると、全軍撤退を進言する。 結局この戦いは「先に戦場を去ったのはカルディスだが、最終的に兵を多く失ったのはレイディック」という形で、明確な勝者を指定することができないまま痛み別けとなる。 この戦いを第一回として、この後五度にわたりゼイレアンの戦いは続くこととなるが、「国主の直接対決」という意味では、後のレザベリアスの戦いと並んでの二大決戦として知られている。 また、アルヴァドスは、敵の本陣に単独での突撃と言う、受け止め方によっては捨て駒にされたという作戦を与えられた事に、レイディックに対しての不信感を持ったという説もあるが、この時点ではまだ両者の信頼関係は強かったと思われるので、逆に信頼の証ではないかと、否定もされている。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ロードレア国とロー・レアルス国の決戦であるゼイレアンの戦いは、事実上の引き分けで終わった。 だが、これはあくまでも戦いの始まりを告げる鐘に過ぎず、両国はこの後五度にわたる長き戦いを繰り広げることとなる。 その最中、バルディゴスの遺児ともいえるルディック国のバルシオンは、ロードレア国に目をとらわれているロー・レアルス国の後背を突いて、いまこそ領地を取り返すべしという意見があげる。 これを採用するか、外交によってルディック国を存続させるべきか、意見はまとまらず、結論は先延ばしを繰り返していた。 しかし、カルディスの目線がゼイレアン平原に向き続けていたことから、691年1月、テレサはついに戦う道を選択することとなる。 かつての大帝国は、大陸の片隅に追いやられていたが、ルディック国にとって唯一の利点は、その片隅の地だったからこそ後背を狙う国が存在せず、全兵力をこの戦いに傾けることができたことである。 対するロー・レアルス国は、ゼイレアンで対陣中のロードレア国を筆頭に、数ヶ国からの進軍に備えて、兵力を分散しなければならなかった。 こうして、ルディック国軍の兵力はロー・レアルス国軍を大きく上回ることに成功するが、ロー・レアルス国、カルディス自らが出陣し、メファイザス、ゼノスといった直属部隊を率いてきた。 これは、にらみ合いのまま膠着状態が続くゼイレアンに留まるより、今はこの一戦が重要と、瞬時に判断しての行動であった。 このときメファイザスは、カルディスの「ルディック国軍と同数の兵力を揃えられるか?」という問いに対して、「同数は無理ですが、半数もあれば勝利できるかと」と答えたという。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
後世の物語においては、カルディスとの壮絶な一騎打ちの末討たれたとするものも多いが、実際は彼女はカルディス本陣にまでたどり着かずに力尽きた。 こうして、ルディック国最後の決戦は終わりを告げた。 兵力で勝りながら、既にそれを活かせる将がいなかったルディック国は、最後の賭けとして投入した大軍をいたずらに消耗させ、この決戦に敗北する。 この後、ルディック国はもはやロー・レアルス国に対して正面から立ち向かう力はなくなる。 しかし、カルディス自身は、ルディック国にある程度の義理を感じていたのか、外交による威圧に徹し、ついに武力制圧には至らなかった。 その為、既に抵抗する力をもっていなかったにも関わらず、ルディック国が実際に滅亡するのはメファイザスの代になってからである。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
その頃から野心溢れるバルディゴスの才知に魅せられ、成人を迎えると自ら進んでその配下となると、蟠踞乱戦争においては一隊を率い、皇帝一族の襲撃に参加。 皇帝一家に対する虐殺行為に躊躇した部下を「将軍(バルディゴス)がこれまでお前達を養って来たのは何の為か、忠義を示せ」と叱咤し、自ら率先して女子供を問わず皇帝の一族を次々と殺害していった。 バルディゴスが帝位を名乗ると、その忠誠を買われて正式にルディック帝国の将軍として取り立てられ、ジョロスらと共に反対派の粛清やルディック城の治安維持を任されていた。 バルディゴス討伐連合軍結成時には、ルディック城に残留して留守部隊と治安の安定を図り、バルディゴスの凱旋を待ち望んでいたが、ルーズの戦いの最中バルディゴスがカルディスに暗殺されたことを聞かされると卒倒したという。 バルディゴスの死にルディック城の将兵達が動揺する中、徹底抗戦を主張するも、主だった将はカルディスのロー・レアルス建国への同調を決意。 ロー・レアルス国軍が接近すると同調派によって捕縛されかけるが、バルシオンは僅かな手勢を率いて脱出し、カルディスに反発する将軍達と合流し、ルディック国の将軍として、第一線で指揮を執り続けた。 しかし、次第に精神に変調を来たし始め、戦力差を考えずにロー・レアルス国へと攻め込み、カルディスを討つことを繰り返し主張した結果ロックスの戦いでも敗戦し、周囲からは疎まれるようになっていく。 691年、ゼイレアンの戦いで疲弊したロー・レアルス国に対してルディック国軍が侵攻を開始、ソルドレイカの戦いが勃発する。 この戦いでバルシオンはルディック国軍の先鋒としてロー・レアルス国の軍勢に攻めかかるが、カルディスの巧みな采配によって縦横に分断され、ルディック国の軍勢は各個撃破されていった。 味方が壊滅的打撃を被る中、バルシオンはカルディスの本陣目掛けて幾度も突撃を仕掛け続けるが、遂に果たすことなく戦場に散った。 このときの凄まじい突撃は、「バルシオンの三段崩し」と呼ばれることとなる。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
人物・逸話 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
・バルディゴスには強い思慕の念を抱いており、義父の様に慕っていた。武術を学び、軍人となったのもバルディゴスの役に立とうという一念からであり、忠実な私兵としてその野望成就の為に働き、労いの言葉を掛けられることに喜びを示したとされている。バルディゴスの死後は、カルディスを討つという執念によって自らを鍛え上げ、達人の域にまで達するもルディック国の衰退という大勢を覆すには至らなかった。 ・元々は静かで凛々しい物腰の持ち主だったとされているが、バルディゴスの死後から次第に精神に変調を来たし激情的かつ攻撃的となり、過激で妄執染みた言動が多くなった。最高司令官となったバロムからは「扱い辛い娘だ」と評されるも、衰退しつつあったルディック国では数少ない戦力であり、また亡きバルディゴスへの盲目的な信奉から裏切ることはあるまいと判断され、軍の指揮を任され続けた。 ・バルディゴスの私兵的存在であったため、一部の同僚から「雌犬」と蔑視されることもあった。後世の物語の中には、バルディゴスとは愛人の関係だったと設定している作品もみられる。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
明確な書状などは残っていないが、このリューグ国の派兵は、タイミング的にルディック国軍と連絡を取り合い、同時に出陣して東西からロー・レアルス国軍を挟撃する予定だったものと思われる。 バロゥドがゾイを撃退する活躍を見せるも、すぐに反撃を受け、指揮官が戦死してリューグ国軍は混乱を起こす。 この時、強引に指揮権を奪い、リューグ国軍をまとめ、追撃してきたロー・レアルス国軍を撃退したのが、アゾル国滅亡後に流れ着いたキルレイツだと言われている。 5月には、リューグ国はバルド国にも攻め込むが、この時キルレイツは指揮官として軍勢を率いて、ノーウェイ砦付近一端を手に入れている。 砦こそ陥落させることはできなかったが、彼がリューグ国において指揮権を拡大していたのはこの頃からである。 後に復讐の鬼としてラディアの前に立ちはだかることから、物語においてはキルレイツが必要以上に冷酷に描かれることが多く、先述したソルドレイカの戦いに便乗した出陣では、軍勢を奪うため、意見が対立した指揮官をキルレイツ自身が背中から刺したり、バルド国への出陣も、彼がライグをそそのかした描写が見られるが、少なくとも史実においてはその様な事実はない。 なお、かつての連合軍盟主であったボルゾックは、これによってついに当時の参謀であったライグからも攻撃を受けたこととなり、国境を隣接する全ての連合参加国から攻め込まれたこととなる。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
この行き違いは、情報伝達が機能しなかった為の不幸な事故であったが、弟の将来に期待していた父ヴォレンとの間に確執がうまれたアルヴァドスは、「アルヴァドスが反乱の首謀者と同郷だったため、共謀しているのではと警戒したのではないか」という噂を信じて、これ以降レイディックに対して深い遺恨を残すこととなる。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
アル国も、この頃になるとさすがにベルザフィリス国のことを辺境の反乱とは言えなくなるが、ロッド国との戦いが激化していたこともあり、どうしても対応が後手に回っていたが、この段階でもルドリアは本気で取り掛かれば、いつでも踏みつぶせると考えていたため、本格的な討伐隊の派遣を行わなかった。 だが、この日の夜、ディアルは突然吐血すると、そのまま病状に伏せる。 放浪時代に、誤解から殺害してしまった狩人の娘の怨霊にうなされたという噂も実しやかに流れていたが、真相は謎である。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ディアルの症状は、一向に回復することなく悪化し、9月26日深夜、妻ルーディア、養子ガイヴェルドに看取られて息を引き取った。 遺言により国主の座はルーディアに引き継がれることとなる。 彼女は、一代の賢人と呼ばれたグレシアを説得して軍師として迎えることに成功する。 一方、ディアルの死を聞きつけたアル国は、歓喜した国主ルドリアがここにきて自ら出陣を決意。 配下にアル国四天王ザグルス、フェルド、メネシス、レディナスを揃えての万全の態勢であった。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
10月8日、アル国四天王を率いて堂々と出陣したルドリアは、12日、16日に二度の小競り合いで、小城を陥落させた。 「所詮は辺境の反乱軍、本気で制圧に乗り込めばこんなに簡単なことだった」と、ルドリアは上機嫌となり、そのまま首都であるベルス城まで向かうべく、南下を続けた。 しかし、全てはベルザフィリス国の新たな国主となったルーディアの策略であった。 彼女は、ディアルの後を継ぐと決めたとき、自らの心を殺し、鬼になると決意していた。 ディアルの軍師であった頃のルーディアなら、先の2つの小城を見捨てる様な作戦は立てなかったが、今のルーディアにはそれができた。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ベルス城を目指し、渓谷を長蛇の列となって進むルドリア。 他の部隊も次々と姿を現し、渓谷の出入り口を塞ぐと火を放ち、ベヌロゥズは一気に崖を駆け下りて、ルドリアの本隊に襲い掛かる。 長蛇の陣形になっていたアル国軍は分断され、連絡をとりあうこともできず、更に火によって完全に孤立。 フェルド、メネシスが急ぎルドリアを救出に向かうが、ガイヴェルドが指揮する部隊に迎撃され、敵中に孤立したルドリアは、ベヌロゥズによって討ち取られた。 アル国軍は、大軍を率いながら、たった一度の奇襲によって総大将を失うという、戦史上稀に見る大敗を喫した。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ルドリアの悪政に疲弊していた国民は、最初はこの新たなる国主に期待をかけるが、ザグルスはルドリアを更に上回る暴君であった為、アル国の民は更なる絶望に追い落とされる事となり、フェザリアードをはじめとする多くの人材が去っていくこととなる。 |